その2. アメリカでの医療者の働き方
休暇への意識
昨年は周りに遠慮して長く休めず10日の休暇を使って日本に帰省したが、今回は3週間休暇を取った。日本でそんな話をすると、そんなに長く休めるのかと驚かれた。確かに、うちの職場でも通常みんな2週間程度の休みが多いが、私の場合は今回年に一度の帰省ということもあり自分がいない間のカバーなどもしっかりしてもらえた。うちの職場では、正直みんなが休むのでお互い様という風土があるような気がするが、ありがたい限り。勝手な主観だがアメリカは休暇は労働者の権利であり取るべきもの(もちろん事前に上司に確認をとりますが)、日本では休暇は上司や同僚に許可いただいて、休暇をもらうという意識があるのではないだろうか。日本式に同僚にここで休みをとってもいいか訪ねていたら、休みが必要なら休めばいいじゃないと実際言われた。
労働時間
友人、家族に会うだけでなく、過去の職場の人また他院で働く様々な医療関係者とお話をする機会がありました。みなさん本当に長時間働いているなと実感。特に医師の方たちの働き方には頭がさがるばかり。病院での診療業務や手術だけでなく、研究、そして時間外に他の活動などと、平日は深夜近くまで働いている方々が多くて。週末に働いて、記録が終わらないなどと文句を言っていた自分がちょっと恥ずかしくなった。
その3. ビジョンを持つこと
今回3週間の休みを取って長期に帰省したのは、実は参加したい医療関係者の集まりが12月の半ばにあったこと。さて、この会で他職種、他施設での医療関係者にお会いして色んな話をしました。日本行きの飛行機でIndividualized career plan という宿題のシートを埋めていましたが、いろいろ考えたものの埋められず。改めて、今後何をしたいのかというビジョンがブレてるなと実感する。日々働く中で日米それぞれの医療に対する問題意識はあるが、自分が次に何をしたいのかが正直ぼんやりしているし。日々の目の前の仕事に忙殺されて、長期でのビジョンもなく日々の仕事をこなして2年が過ぎてしまった気がする。
そんな焦りもあり、実は博士課程のプログラムを応募しようと、9月に説明会に行き、11月にTOEFLを受けて直したのだが、いつも英語使っているしとノー勉強で受けたものの、スピーキングは24点あったもののライティングが23点で出願に際し1点足らず、結局出願自体を取りやめたのである。ただ、phDに何をしに行くかという問いに対しての強い動機がなかったのもの事実。行くために払う犠牲(特に経済的、時間的な制約)を上回る、自分の強い意志がなかったのだと思う。
ひょんなことから、この帰省中どこかの会社の外部者にも開かれた会議を拝聴する機会をいただいた。ある方の普段感じている問題意識を解決するためのプロジェクトで、データを実際に出して、取り巻く環境だったり、社会情勢だったりを話すという初期段階のブレーンストーミングだったのだが、これが面白かった。自分も一度じっくり自分が何を次に目指すのか・達成したいのかをこの手法で考えたいと思っている。(本当はこの3週間の休みで考えるはずだったのが、のんびりし過ぎました)
その4. 日々を丁寧に生きることを習慣にする
今回ずっと観たかった「日日是好日」という茶道がテーマの映画をみて、原作を読んでみた。この作品で感じたのは、継続する事で見えることついて。私の茶道の先生もそうだが、樹木希林演じる武田先生の所作の美しさは本当に素敵だと思う。四季の変化を愛でたり、時季に合わせたおもてなしを考える。日本間の美しさだったり、時季にあった花を飾り、お軸を選んでかけるってとても贅沢な時間であると思う。
関係ないが、いつも休みであっても仕事中心に回っていたのだが、この帰省中はほとんどパソコンに触らず、人にあったり、映画をみたり、本屋さんでのんびり本を選んだり。伝統工芸の曲げわっぱのお店を訪ねたり、陶器の街に行き陶器を愛でたり、実家で着物を整理してみたり。実家に変えれば、料理をし、仏壇の花を変えたり、大掃除をしたり、なんだか贅沢な時間だなと思った。ここ1年ほど、仕事が終われば帰宅して、ご飯食べながらNetflixやらHuluを見てダラダラして時間がなくなりいろんなことをおろそかにする、いうことを繰り返していたが。日々のルーチンをちゃんとこなしつつ、花を飾ったり、自然を愛でる余裕がある暮らしがしたいと思った。
というわけで、この帰省中に感じたことをダラダラ書き連ねてみただけで、なんのまとまりもないのですが。比較的休みがとりやすい労働環境に感謝をしつつ、もっと患者さん目線に立って仕事を丁寧にしながら、自分が今後何をしたいのかを考えて、それを達成するために必要なこと(ブログの更新も含めて)を習慣づけつつ、もう少し心に余裕がある日々の生活ができたらなと思いを馳せる新年である。